臨床工学技士が教える!私が臨床工学技士を目指した理由とは?臨床工学技士を目指したきっかけと養成校入学編①

筆者は現在、臨床工学技士の仕事から一時的に離れていますが、かつては、国家試験に合格し、養成校卒業後、7年間地方の総合病院で勤務していました。これから、養成校時代から現在に至るまで全3回にわたり女性の目線から臨床工学技士について体験談を交えてご紹介します。少しでも臨床工学技士に興味を持っていただけると幸いです。

臨床工学技士と聞くと何をしている人なの?と疑問に思っている方や、将来臨床工学技士を目指してこの記事を読んでいただいている方などがいると思います。私もかつては前者でした。臨床工学技士とは、国家資格を取得した医療職種のひとつで、主に生命維持管理装置の操作、保守点検などをおこなう医療業界のエンジニアです。

臨床工学技士という資格との出会い

高校3年生にもなると、進学や就職と、それぞれの将来について現実的に考える時期に突入します。私はというと、最初は医療とはかけ離れた仕事を夢見ていました。しかし、親からは大反対を受けます。当時、そこまで強い意志を固められていなかった私は、別の道を探すことに。でも、何になればいいのかわからず、悩んでいました。資格があれば、この先、一生に渡って活かすことができると、親の助言によって、一時期、医療職に憧れを抱いていたことがあり、私はそれならと、医療の道に進もうと決めました。インターネットで調べた時に見つけた職業で、一番気になったのが、臨床工学技士でした。初めて聞いた職業だったからでしょう。印象が強かったのだと思います。正直、生命維持装置?医療機器の保守点検?透析?と内容もいまいちわからなかったのを覚えています。医療なのに工学って何?と疑問にも思いました。ただ、疑問だらけの中、男性が圧倒的に多いことは理解できました。裏を返せば女性が少ないということになります。女性臨床工学技士が少ないのであれば、男性にはない感性で、仕事に活かしていけるのではないだろうか、場合によっては就職に有利に働くのでは、と考え臨床工学技士を目指すことにしました。女性なりの、と書いたら語弊があるかもしれませんが、私の場合、仕事をひとつひとつ丁寧に最後までやる自信がありました。

養成校を選んだ理由

今まで親に依存していた分、1年でも早く働いて自立したかったから、の一言につきます。少しでも早く、社会人になって親を安心させたかった。と言えたならば素敵ですよね。でも、理由はそれだけではなくて、養成校では一クラス制で3年間同じ仲間と学習するため、人見知りの私でも学校生活を送りやすいかもと感じていました。自由度の高い大学と違い、養成校のメリットの一つです。それからは、自宅から通える範囲の養成校を調べ、オープンキャンパスに参加して受験校を決めました。養成校の決め手は、歴史が一番長かったからです。歴史が長いとその分卒業生も多いため、就職先にも先輩がいる可能性が高い、就職する際にも○○学校の卒業生ならと就職に有利に働くかもしれない、という安心感がありました。私の地域特有かもしれませんが、歴史の浅い学校では、その分礼儀などに力を入れているようでした。オープンキャンパスの時点では、わからなかったのですが、学校に置いてある医療機器も、比較的新しいか確認すればよかったな、と今では感じます。これからオープンキャンパスに参加する方は、設備もきちんと確認した方がいいと思います。臨床工学技士の臨床実習は期間が短いため、学内実習でどれだけ実際の現場を想像できるかが鍵となるからです。入学してから学校の設備が使い物にならなくて(機器によりますが)、学内実習に苦労した思い出があります。

受験勉強

私の出身高校は、進学校のため、そのほとんどが大学進学を目指していて、就職や専門学校(養成校)への進学希望者は少数でした。授業も大学受験に合わせたものだったので、自分なりに工夫をして勉強をしました。オープンキャンパスで過去の入試問題をもらったり、学校に保管してあったセンター試験(現在は大学入学共通テスト)の過去問題のうち、必要科目のみ、ひたすら解いたりしていました。また面接もあったので、何名かの先生に面接練習をお願いして受験に備えました。専門学校への入学試験は、大学入試よりは比較的科目数も少なく簡単ですが、入学するからにはきちんと勉強する必要があります。しっかり対策することが大切だと感じました。大学入試より入試試験が早いため、終わった後も友人に迷惑をかけないよう静かに過ごすことを心掛けていました。

合格してから

入学前に、入学生を対象にした説明会がありました。これは学校によると思うので、参考になるのかわかりませんが、自己紹介などをした覚えがあります。これからどんな勉強をするのか、臨床工学技士とどんな仕事なのかを知ることができました。説明会の数日前に東日本大震災が起きたのを覚えています。東北から進学予定の友人は、その時来ることができませんでした。テレビで悲惨な光景をみて、将来医療従事者として災害などがあった時に冷静に対応できるような、そんな人になりたいと強く心に決めました。その一方で、透析患者が治療を受けるために各地に送られるニュースを見て、私はこの方達の命を繋ぐ仕事をするんだと、自分にできるのか不安に感じたものです。さまざまな思いが交差して入学前にこの道に進んでよかったのか、自分の選択は、あっていたのかとぐるぐると考えが巡りました。

おわりに

親の反対を押し切れるほどの強い意志がなかったからこそ出会えた、臨床工学技士という仕事。女性が圧倒的に少ないからこそ、自分自身で新しい道を切り開けるかもと当時は希望を持っていました。小さい頃は、まさか自分が病院で働くとは想像もしていませんでした。
人生は何があるかはわかりません。無数にある職業の中で臨床工学技士を選んだのも縁なのだと思います。